来世はパンダ

ハッピーハッピーハッピーライフ

センター負けたから「勝手にふるえてろ」観に行って来たよ

 

いやいや勉強しろよ、とクソリプが飛んで来そうだけど今すぐ自分をコンテンツにしないと死にそうだから書くね。喉元過ぎれば酸いも甘いも一緒くたって椎名林檎様も言ってたしね。

 

びっっっっっくりするほど出来なかった。すごい。本番でこれだけ出来ないのは逆に天才なのかもしれない。親の前で自己採点しながらわーわー泣いてたら「お前は受験をなんだと思っているんだ」と一浪一留の父親になぜか怒鳴られ、「だから私受験向いてないって言ったじゃん!」と謎の返しをする私。受験向いてないイコール社会向いてないイコール人間向いてない。それくらいこの一年間は私がいかに社会不適合者かを悟るのに十分な期間だった。前の受験で奇跡的にいい学校に入ってしまったがために根拠のないプライドを全身に身にまとった私。来年なるもの、つまり大学生を鼻でせせら笑ってきたのにそれにもなれない私。


辛すぎて何してても泣いてしまう。でも昨日の夜も「あー死にたい」って呟いて寝たけどちゃんと朝は来たし、お腹も空いた。餅を食った。あわよくば詰まらせないかなーと思って作ったら煮すぎて柔らかくなった餅を頬張ってトイレに行くと生理になった。こんなに死にたいのに私の体は次の命のためにせっせと準備をしているのかと泣けた。でもちゃんとセンター中は生理にならなかった私の体は偉い。に比べて私。また泣いた。学校に行かなければならないので準備をして出かけた。単語帳を見ていても涙が出てきて、「あー周りに想像力の豊かな人間がいたらこの子はセンターがダメで、英単語見ながら泣いてるなんてエモいなーとか思ってくれないかなー」とか考えてなんとか涙を引っ込めた。あと涙を引っ込めるために死に方も考えた。センター試験を体の周りにばら撒いて油ぶっかけて火をつけて焼身自殺、はセンセーショナルかなあとか。でも焼身自殺は自殺の中でも一番きついから却下。学校に着いて私のクソセンターの成績を各予備校に晒す書類を提出したら、不備があって、よりによって一番悪かった教科の点数がマーク出来てなくて、先生が「出来てないよ」的なことを言ってブワッて泣いた。先生に悪意がないのはわかってる。そんで隣にいた大好きな先生に大丈夫?と聞かれて余計に辛くなって、周りには「もう全然ダメだったわー」とか言ってるけど全然ダメなんかじゃない同級生がわんさかいる中でうずくまっておいおい泣いた。優しい先生がティッシュを渡してきて「これからだから、大丈夫よ」って励ましてくれて、大好きな先生は「〇〇さんあとで話そう」と言ってくれた気がしたけど私は帰った。誰も泣いてなかった。みんな笑顔で談笑してた。だからたった一人で泣いてた私は次学校来た時腫れ物扱いされるんだろうな。もし慰めてくれる優しい人がいても私を見て安心してるんだなとか言ってしまいそうで、私は人間も頭もクズだと思う。なんだかよくわからない人が言ってくれる「センターがダメでも死ぬわけじゃない」ってうるせえよ。センターがダメで安らかに死ねる病気があったらそっちの方が幸せだよ。センターがダメでも朝は来て、お腹は空いて、怖くて死ねないクズの私しかいないことの方が死ぬことより何倍も絶望で地獄だ。


で、映画を観に行った。もう勉強する気にもならないし今日勉強したところで何も変わらないし。とにかくどこにも居たくなかったから、でも私がどこにも居ないなんてことはないから、映画に行こうと思った。松岡茉優さんが好きだ。「問題のあるレストラン」っていうドラマがすごい良くて。それからずっと大好きってのもあるし松岡茉優さんが私のような人間を演じているとかいう情報は知っていたから絶対に観るし観るなら今だなと。


案の定、松岡茉優さんは私だった。上司の見た目を馬鹿にして面白おかしく悪口を本当に親しい人間にだけ呟くのも、弁論部だったからさーとか言っちゃう人を心の底から馬鹿にするのも、ジャンヌダルクと自分を比べてしまうのも。中学生の時なんか見た目までなんとなく似ていて笑ってしまった。私は頭ボサボサタイプではなく、逆にデコ丸出しタイプの喪女だけど。最初は知らない人に話しかけるなんて…とかやっぱりなんだかんだ言って松岡茉優さんだから顔面は優勝やな、全然違うやんと思ってたけど、紛れもなく松岡茉優さんがいる地獄は私のいる地獄と相似形、もしかしたら合同。主に共感したシーンは、ファック連呼するところとか。私も塾にいるクソ大学生のクソの役にも立たないクソ啓発アドバイス聞きながら机の下で中指たててたよ。今の状況としては、さ松岡茉優さんがFacebookで「死にたい。痛くないなら今すぐ死んでる」という投稿への「死なないで!」系リプライを見て「大丈夫、意外と死なないよ」。わかりみが過ぎる。ははは。


私はハウルの動く城で、ハウルがソフィーに花畑をプレゼントしてあげて、「ソフィーは綺麗だよ。」と言うシーンで毎回泣いてしまうんだけど、最後のシーンでそれを思い出した。二はハウルほどかっこよくはないかもしれないけど、私というめんどくさくて何もない人間を無条件で受け入れてくれる、愛してくれる人というところで同じ(つまりソフィー、松岡茉優さんに自分を重ねて泣いてるっていうおこがましい話)。少女漫画にありがちな平凡な女の子がイケメンに見初められる話にはビクともしない。それは少女漫画が面白くないからじゃなくて、その「平凡」な女の子は明らかに私より優れているから。優しくて、たくさん友達がいて、コミュニケーション能力も高くて。それは平凡なの?この世界でそれが当たり前って顔をして生きていける人はすごい。私は無理だから。無理だなんて思いたくなかった。もしくはその生きる能力の代わりに知性が与えられていると信じたかった。でも、違った。どーでもいい知識に凝り固まってこじらせまくって学歴もないそのくせプライドは高い。何もない。世界に私はいない。そういう現実をクソセンターと松岡茉優さんが突きつけてくれた。そして松岡茉優さんは夢を見させてくれた。あなたも、生きてていいんだよ、もしかしたら二みたいなあなたを愛してくれる人が現れるかもよ、と。


鼻をすすりながらパンフレットを買って公園のベンチに座った。今まで公園のベンチに座れなかった。コイツ、頭おかしいんじゃないかって思われそうだから。あと変な男が近づいてきて乱暴をして来たらとか思ったから。今生理だから何もできないよ。でもそんなことも何もなくてただベンチに座って泣いてる女が居るだけだった。私は誰かに認めてもらいたかったから勉強してたのかな、とが分析してたら、腐女になった理由を考える男みたいで気色悪くなってやめた。寒くて死にそうだったので帰った。やっぱり死にたくないし明日も朝が来るしお腹は減る。どうするかはわかんないけどまあ死ぬのはやめて生きようと思う。今から痩せてキャバで働くのも楽しそうだし、高卒就職も悪くない。幸い弟は合格したらしいから親の理想の子供枠は弟が務めてくれそうだ。なんとでもなる。どうとでもなる。クソセンターを作ってくれたクソ文科省ありがとう。これから頑張りますね。